震災情報ブログをIT企業が情報を整理できたら、震災時に多くの命を助けられるのでは。テーマ:ブログ 震災情報ブログをIT企業が情報を整理できたら、震災時に多くの命を助けられるのでは。
正確な情報を被災地の自治体が把握は困難です。
そこで、世界各地に散らばるIT企業のサーバーで情報が整理できるシステムができれば、
阪神、淡路大震災の情報の遅延による悲劇は少なくなるのではと私は勝手に思う。
被災しないための耐震化。
動ける人、情報の発信する人を増やす。
情報の信頼性を高める。
情報技術で補完できれば。
震災時、携帯メールなら繋がる。岐阜県中津川市の試み。電話は不通になる可能性が高い。テーマ:ブログ
震災時、携帯メールなら繋がる。岐阜県中津川市の試み。電話は不通になる可能性が高い。
通信量の少ないメールなら市に震災の状況を虫の目、地域情報として伝えることができる。
最初は普及しなかったが、熊の出没情報で一般化した。
http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/bousai/H18_chiikibousai_plan/kyoutuuyobou.pdf
「情報テクノロジーは命を救えるか」あなたのSOS伝える新技術、携帯メールの威力、震災の教訓を今見テーマ:ブログ
「情報テクノロジーは命を救えるか」あなたのSOS伝える新技術、携帯メールの威力、震災の教訓を今見る。
鳥の目(全体状況の把握)
飛行機、ヘリコプターなどからGPSを使い、空から解析。
夜間でも赤外線暗視カメラなどの活用。
虫の目など。
阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・テーマ:ブログ
阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
「ガタガタ」「ガタガタ」
けたたましい音で目が覚める。
ベットから飛び起きて、リモコンで
テレビをつけた。
1995年1月17日早朝
祝日の連休を利用して偶然、兵庫県南部にいた。
あまりの揺れに、地震の詳しい内容を知るために
テレビをつける。
テレビには、地震情報が流れている。
大阪、岡山と地震の震度が表示されている。
神戸の表示がないが、
大阪に神戸は近いのでないものだと勝手に思い、
また、寝てしまう。
余震の揺れで、
再び起きてテレビをつける。
「あ~、阪神高速が倒れている」
と声を上げる。
神戸は学生生活を過ごした思い出の町だ。
六甲山の山から見る夜景は美しく。
日本一、素敵な街だと思っていた。
しばらくして駅に向う。
駅では電車が西明石で止まっているという表示
で動いていない。
その後、数日がたった。
余震の続く神戸近郊の親戚の家の引越しの手伝いに
車で向うことにした。
自衛隊の車が、何台も走っていたのが印象的だった。
その後、
神戸市内には何回も足を運んだ。
繁華街の三宮の駅前にはビルが倒れ、
電車の動いていないなかで、
バスが動き出していた。
バスに乗り込みに並ぶ被災者の方々の待つ姿が印象的だった。
バスの中での東灘区の風景は悲惨だった。
東灘区では沢山の家が倒れていた。
倒壊している。中にはまだ人がいるかも知れない。
悲惨な状況に心が痛い。
その家を見ているバスに乗る被災者の人の気持ちを考えると
もっと心が痛かった。
自然と涙が頬をつたっているのに気づいた。
建物の中には人がいる。
建物は人の命を預っている。
神戸はあの日から11年たつ。
あの美しい神戸に蘇ったのだろうか。
私たちはあの日を忘れてはいけない。
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年テーマ:ブログ
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_01.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_02.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_05.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_09.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_15.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_09_02.html
http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html
阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。テーマ:ブログ
阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。
神戸のあの震災から12年がたとうとしている。
神戸は大学で通っていた。
大学の寮をかりたこともある。
大学の同級生の友人も下宿していた。
数年違えば、あの日、阪急六甲の駅の近くにいたかもしれない。
私はあの日、兵庫県の南部にいた。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
多くの人が亡くなり、
多くの人が家をなくし、家族を亡くした。
生き地獄だった。
数日後、
東京に行った。
神戸と違い、東京はいつものままだった。
変わっていないように感じた。
新宿の
コンビニに阪神淡路大震災の募金箱があった。
呼び水になればという思いで、
財布の中の
小銭をすべて投げ入れた。
東京の新宿駅前で大声で叫びたかった。
「今、神戸は大変なことになっている。」
「みんなで助けてあげてください。」
「お願いです。」
と
でも、勇気がなかった。
あれから12年、
私の記憶も薄れてきた。
でも忘れてはいけない。
みんなに伝えないといけない。
「1・17を忘れない」朝日新聞滋賀地域版、朝、購読している新聞を見る。
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000701130001
PS
1月17日あれから12年。1年前の記事を読み返す。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
よみがえれ神戸。
木村勝則http://www.katsunori.jp/
正確な情報を被災地の自治体が把握は困難です。
そこで、世界各地に散らばるIT企業のサーバーで情報が整理できるシステムができれば、
阪神、淡路大震災の情報の遅延による悲劇は少なくなるのではと私は勝手に思う。
被災しないための耐震化。
動ける人、情報の発信する人を増やす。
情報の信頼性を高める。
情報技術で補完できれば。
震災時、携帯メールなら繋がる。岐阜県中津川市の試み。電話は不通になる可能性が高い。テーマ:ブログ
震災時、携帯メールなら繋がる。岐阜県中津川市の試み。電話は不通になる可能性が高い。
通信量の少ないメールなら市に震災の状況を虫の目、地域情報として伝えることができる。
最初は普及しなかったが、熊の出没情報で一般化した。
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「情報テクノロジーは命を救えるか」あなたのSOS伝える新技術、携帯メールの威力、震災の教訓を今見る。
鳥の目(全体状況の把握)
飛行機、ヘリコプターなどからGPSを使い、空から解析。
夜間でも赤外線暗視カメラなどの活用。
虫の目など。
阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・テーマ:ブログ
阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
「ガタガタ」「ガタガタ」
けたたましい音で目が覚める。
ベットから飛び起きて、リモコンで
テレビをつけた。
1995年1月17日早朝
祝日の連休を利用して偶然、兵庫県南部にいた。
あまりの揺れに、地震の詳しい内容を知るために
テレビをつける。
テレビには、地震情報が流れている。
大阪、岡山と地震の震度が表示されている。
神戸の表示がないが、
大阪に神戸は近いのでないものだと勝手に思い、
また、寝てしまう。
余震の揺れで、
再び起きてテレビをつける。
「あ~、阪神高速が倒れている」
と声を上げる。
神戸は学生生活を過ごした思い出の町だ。
六甲山の山から見る夜景は美しく。
日本一、素敵な街だと思っていた。
しばらくして駅に向う。
駅では電車が西明石で止まっているという表示
で動いていない。
その後、数日がたった。
余震の続く神戸近郊の親戚の家の引越しの手伝いに
車で向うことにした。
自衛隊の車が、何台も走っていたのが印象的だった。
その後、
神戸市内には何回も足を運んだ。
繁華街の三宮の駅前にはビルが倒れ、
電車の動いていないなかで、
バスが動き出していた。
バスに乗り込みに並ぶ被災者の方々の待つ姿が印象的だった。
バスの中での東灘区の風景は悲惨だった。
東灘区では沢山の家が倒れていた。
倒壊している。中にはまだ人がいるかも知れない。
悲惨な状況に心が痛い。
その家を見ているバスに乗る被災者の人の気持ちを考えると
もっと心が痛かった。
自然と涙が頬をつたっているのに気づいた。
建物の中には人がいる。
建物は人の命を預っている。
神戸はあの日から11年たつ。
あの美しい神戸に蘇ったのだろうか。
私たちはあの日を忘れてはいけない。
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年テーマ:ブログ
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_01.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_02.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_05.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_09.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_15.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_09_02.html
http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html
阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。テーマ:ブログ
阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。
神戸のあの震災から12年がたとうとしている。
神戸は大学で通っていた。
大学の寮をかりたこともある。
大学の同級生の友人も下宿していた。
数年違えば、あの日、阪急六甲の駅の近くにいたかもしれない。
私はあの日、兵庫県の南部にいた。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
多くの人が亡くなり、
多くの人が家をなくし、家族を亡くした。
生き地獄だった。
数日後、
東京に行った。
神戸と違い、東京はいつものままだった。
変わっていないように感じた。
新宿の
コンビニに阪神淡路大震災の募金箱があった。
呼び水になればという思いで、
財布の中の
小銭をすべて投げ入れた。
東京の新宿駅前で大声で叫びたかった。
「今、神戸は大変なことになっている。」
「みんなで助けてあげてください。」
「お願いです。」
と
でも、勇気がなかった。
あれから12年、
私の記憶も薄れてきた。
でも忘れてはいけない。
みんなに伝えないといけない。
「1・17を忘れない」朝日新聞滋賀地域版、朝、購読している新聞を見る。
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000701130001
PS
1月17日あれから12年。1年前の記事を読み返す。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
よみがえれ神戸。
木村勝則http://www.katsunori.jp/
Posted by katsunori at
23:00
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震災時、携帯メールなら繋がる。岐阜県中津川市の試み。電話は不通になる可能性が高い。
通信量の少ないメールなら市に震災の状況を虫の目、地域情報として伝えることができる。
最初は普及しなかったが、熊の出没情報で一般化した。
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鳥の目(全体状況の把握)
飛行機、ヘリコプターなどからGPSを使い、空から解析。
夜間でも赤外線暗視カメラなどの活用。
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阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
「ガタガタ」「ガタガタ」
けたたましい音で目が覚める。
ベットから飛び起きて、リモコンで
テレビをつけた。
1995年1月17日早朝
祝日の連休を利用して偶然、兵庫県南部にいた。
あまりの揺れに、地震の詳しい内容を知るために
テレビをつける。
テレビには、地震情報が流れている。
大阪、岡山と地震の震度が表示されている。
神戸の表示がないが、
大阪に神戸は近いのでないものだと勝手に思い、
また、寝てしまう。
余震の揺れで、
再び起きてテレビをつける。
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神戸は学生生活を過ごした思い出の町だ。
六甲山の山から見る夜景は美しく。
日本一、素敵な街だと思っていた。
しばらくして駅に向う。
駅では電車が西明石で止まっているという表示
で動いていない。
その後、数日がたった。
余震の続く神戸近郊の親戚の家の引越しの手伝いに
車で向うことにした。
自衛隊の車が、何台も走っていたのが印象的だった。
その後、
神戸市内には何回も足を運んだ。
繁華街の三宮の駅前にはビルが倒れ、
電車の動いていないなかで、
バスが動き出していた。
バスに乗り込みに並ぶ被災者の方々の待つ姿が印象的だった。
バスの中での東灘区の風景は悲惨だった。
東灘区では沢山の家が倒れていた。
倒壊している。中にはまだ人がいるかも知れない。
悲惨な状況に心が痛い。
その家を見ているバスに乗る被災者の人の気持ちを考えると
もっと心が痛かった。
自然と涙が頬をつたっているのに気づいた。
建物の中には人がいる。
建物は人の命を預っている。
神戸はあの日から11年たつ。
あの美しい神戸に蘇ったのだろうか。
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あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年
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あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_01.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_02.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_05.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_09.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_15.html
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阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。
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神戸のあの震災から12年がたとうとしている。
神戸は大学で通っていた。
大学の寮をかりたこともある。
大学の同級生の友人も下宿していた。
数年違えば、あの日、阪急六甲の駅の近くにいたかもしれない。
私はあの日、兵庫県の南部にいた。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
多くの人が亡くなり、
多くの人が家をなくし、家族を亡くした。
生き地獄だった。
数日後、
東京に行った。
神戸と違い、東京はいつものままだった。
変わっていないように感じた。
新宿の
コンビニに阪神淡路大震災の募金箱があった。
呼び水になればという思いで、
財布の中の
小銭をすべて投げ入れた。
東京の新宿駅前で大声で叫びたかった。
「今、神戸は大変なことになっている。」
「みんなで助けてあげてください。」
「お願いです。」
と
でも、勇気がなかった。
あれから12年、
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でも忘れてはいけない。
みんなに伝えないといけない。
「1・17を忘れない」朝日新聞滋賀地域版、朝、購読している新聞を見る。
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000701130001
PS
1月17日あれから12年。1年前の記事を読み返す。
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よみがえれ神戸。
木村勝則http://www.katsunori.jp/
通信量の少ないメールなら市に震災の状況を虫の目、地域情報として伝えることができる。
最初は普及しなかったが、熊の出没情報で一般化した。
http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/bousai/H18_chiikibousai_plan/kyoutuuyobou.pdf
「情報テクノロジーは命を救えるか」あなたのSOS伝える新技術、携帯メールの威力、震災の教訓を今見
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鳥の目(全体状況の把握)
飛行機、ヘリコプターなどからGPSを使い、空から解析。
夜間でも赤外線暗視カメラなどの活用。
虫の目など。
阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
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阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
「ガタガタ」「ガタガタ」
けたたましい音で目が覚める。
ベットから飛び起きて、リモコンで
テレビをつけた。
1995年1月17日早朝
祝日の連休を利用して偶然、兵庫県南部にいた。
あまりの揺れに、地震の詳しい内容を知るために
テレビをつける。
テレビには、地震情報が流れている。
大阪、岡山と地震の震度が表示されている。
神戸の表示がないが、
大阪に神戸は近いのでないものだと勝手に思い、
また、寝てしまう。
余震の揺れで、
再び起きてテレビをつける。
「あ~、阪神高速が倒れている」
と声を上げる。
神戸は学生生活を過ごした思い出の町だ。
六甲山の山から見る夜景は美しく。
日本一、素敵な街だと思っていた。
しばらくして駅に向う。
駅では電車が西明石で止まっているという表示
で動いていない。
その後、数日がたった。
余震の続く神戸近郊の親戚の家の引越しの手伝いに
車で向うことにした。
自衛隊の車が、何台も走っていたのが印象的だった。
その後、
神戸市内には何回も足を運んだ。
繁華街の三宮の駅前にはビルが倒れ、
電車の動いていないなかで、
バスが動き出していた。
バスに乗り込みに並ぶ被災者の方々の待つ姿が印象的だった。
バスの中での東灘区の風景は悲惨だった。
東灘区では沢山の家が倒れていた。
倒壊している。中にはまだ人がいるかも知れない。
悲惨な状況に心が痛い。
その家を見ているバスに乗る被災者の人の気持ちを考えると
もっと心が痛かった。
自然と涙が頬をつたっているのに気づいた。
建物の中には人がいる。
建物は人の命を預っている。
神戸はあの日から11年たつ。
あの美しい神戸に蘇ったのだろうか。
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あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年
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あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_01.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_02.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_05.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_09.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_15.html
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神戸のあの震災から12年がたとうとしている。
神戸は大学で通っていた。
大学の寮をかりたこともある。
大学の同級生の友人も下宿していた。
数年違えば、あの日、阪急六甲の駅の近くにいたかもしれない。
私はあの日、兵庫県の南部にいた。
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多くの人が亡くなり、
多くの人が家をなくし、家族を亡くした。
生き地獄だった。
数日後、
東京に行った。
神戸と違い、東京はいつものままだった。
変わっていないように感じた。
新宿の
コンビニに阪神淡路大震災の募金箱があった。
呼び水になればという思いで、
財布の中の
小銭をすべて投げ入れた。
東京の新宿駅前で大声で叫びたかった。
「今、神戸は大変なことになっている。」
「みんなで助けてあげてください。」
「お願いです。」
と
でも、勇気がなかった。
あれから12年、
私の記憶も薄れてきた。
でも忘れてはいけない。
みんなに伝えないといけない。
「1・17を忘れない」朝日新聞滋賀地域版、朝、購読している新聞を見る。
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000701130001
PS
1月17日あれから12年。1年前の記事を読み返す。
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よみがえれ神戸。
木村勝則http://www.katsunori.jp/
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鳥の目(全体状況の把握)
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阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
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阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
「ガタガタ」「ガタガタ」
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ベットから飛び起きて、リモコンで
テレビをつけた。
1995年1月17日早朝
祝日の連休を利用して偶然、兵庫県南部にいた。
あまりの揺れに、地震の詳しい内容を知るために
テレビをつける。
テレビには、地震情報が流れている。
大阪、岡山と地震の震度が表示されている。
神戸の表示がないが、
大阪に神戸は近いのでないものだと勝手に思い、
また、寝てしまう。
余震の揺れで、
再び起きてテレビをつける。
「あ~、阪神高速が倒れている」
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神戸は学生生活を過ごした思い出の町だ。
六甲山の山から見る夜景は美しく。
日本一、素敵な街だと思っていた。
しばらくして駅に向う。
駅では電車が西明石で止まっているという表示
で動いていない。
その後、数日がたった。
余震の続く神戸近郊の親戚の家の引越しの手伝いに
車で向うことにした。
自衛隊の車が、何台も走っていたのが印象的だった。
その後、
神戸市内には何回も足を運んだ。
繁華街の三宮の駅前にはビルが倒れ、
電車の動いていないなかで、
バスが動き出していた。
バスに乗り込みに並ぶ被災者の方々の待つ姿が印象的だった。
バスの中での東灘区の風景は悲惨だった。
東灘区では沢山の家が倒れていた。
倒壊している。中にはまだ人がいるかも知れない。
悲惨な状況に心が痛い。
その家を見ているバスに乗る被災者の人の気持ちを考えると
もっと心が痛かった。
自然と涙が頬をつたっているのに気づいた。
建物の中には人がいる。
建物は人の命を預っている。
神戸はあの日から11年たつ。
あの美しい神戸に蘇ったのだろうか。
私たちはあの日を忘れてはいけない。
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年
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あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。
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http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_05.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_09.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_15.html
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阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。
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神戸のあの震災から12年がたとうとしている。
神戸は大学で通っていた。
大学の寮をかりたこともある。
大学の同級生の友人も下宿していた。
数年違えば、あの日、阪急六甲の駅の近くにいたかもしれない。
私はあの日、兵庫県の南部にいた。
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多くの人が亡くなり、
多くの人が家をなくし、家族を亡くした。
生き地獄だった。
数日後、
東京に行った。
神戸と違い、東京はいつものままだった。
変わっていないように感じた。
新宿の
コンビニに阪神淡路大震災の募金箱があった。
呼び水になればという思いで、
財布の中の
小銭をすべて投げ入れた。
東京の新宿駅前で大声で叫びたかった。
「今、神戸は大変なことになっている。」
「みんなで助けてあげてください。」
「お願いです。」
と
でも、勇気がなかった。
あれから12年、
私の記憶も薄れてきた。
でも忘れてはいけない。
みんなに伝えないといけない。
「1・17を忘れない」朝日新聞滋賀地域版、朝、購読している新聞を見る。
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000701130001
PS
1月17日あれから12年。1年前の記事を読み返す。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
よみがえれ神戸。
木村勝則http://www.katsunori.jp/
鳥の目(全体状況の把握)
飛行機、ヘリコプターなどからGPSを使い、空から解析。
夜間でも赤外線暗視カメラなどの活用。
虫の目など。
阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
テーマ:ブログ
阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
「ガタガタ」「ガタガタ」
けたたましい音で目が覚める。
ベットから飛び起きて、リモコンで
テレビをつけた。
1995年1月17日早朝
祝日の連休を利用して偶然、兵庫県南部にいた。
あまりの揺れに、地震の詳しい内容を知るために
テレビをつける。
テレビには、地震情報が流れている。
大阪、岡山と地震の震度が表示されている。
神戸の表示がないが、
大阪に神戸は近いのでないものだと勝手に思い、
また、寝てしまう。
余震の揺れで、
再び起きてテレビをつける。
「あ~、阪神高速が倒れている」
と声を上げる。
神戸は学生生活を過ごした思い出の町だ。
六甲山の山から見る夜景は美しく。
日本一、素敵な街だと思っていた。
しばらくして駅に向う。
駅では電車が西明石で止まっているという表示
で動いていない。
その後、数日がたった。
余震の続く神戸近郊の親戚の家の引越しの手伝いに
車で向うことにした。
自衛隊の車が、何台も走っていたのが印象的だった。
その後、
神戸市内には何回も足を運んだ。
繁華街の三宮の駅前にはビルが倒れ、
電車の動いていないなかで、
バスが動き出していた。
バスに乗り込みに並ぶ被災者の方々の待つ姿が印象的だった。
バスの中での東灘区の風景は悲惨だった。
東灘区では沢山の家が倒れていた。
倒壊している。中にはまだ人がいるかも知れない。
悲惨な状況に心が痛い。
その家を見ているバスに乗る被災者の人の気持ちを考えると
もっと心が痛かった。
自然と涙が頬をつたっているのに気づいた。
建物の中には人がいる。
建物は人の命を預っている。
神戸はあの日から11年たつ。
あの美しい神戸に蘇ったのだろうか。
私たちはあの日を忘れてはいけない。
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年
テーマ:ブログ
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_01.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_02.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_05.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_09.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_15.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_09_02.html
http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html
阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。
テーマ:ブログ
阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。
神戸のあの震災から12年がたとうとしている。
神戸は大学で通っていた。
大学の寮をかりたこともある。
大学の同級生の友人も下宿していた。
数年違えば、あの日、阪急六甲の駅の近くにいたかもしれない。
私はあの日、兵庫県の南部にいた。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
多くの人が亡くなり、
多くの人が家をなくし、家族を亡くした。
生き地獄だった。
数日後、
東京に行った。
神戸と違い、東京はいつものままだった。
変わっていないように感じた。
新宿の
コンビニに阪神淡路大震災の募金箱があった。
呼び水になればという思いで、
財布の中の
小銭をすべて投げ入れた。
東京の新宿駅前で大声で叫びたかった。
「今、神戸は大変なことになっている。」
「みんなで助けてあげてください。」
「お願いです。」
と
でも、勇気がなかった。
あれから12年、
私の記憶も薄れてきた。
でも忘れてはいけない。
みんなに伝えないといけない。
「1・17を忘れない」朝日新聞滋賀地域版、朝、購読している新聞を見る。
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000701130001
PS
1月17日あれから12年。1年前の記事を読み返す。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
よみがえれ神戸。
木村勝則http://www.katsunori.jp/
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阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・テーマ:ブログ 阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・テーマ:ブログ
阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
「ガタガタ」「ガタガタ」
けたたましい音で目が覚める。
ベットから飛び起きて、リモコンで
テレビをつけた。
1995年1月17日早朝
祝日の連休を利用して偶然、兵庫県南部にいた。
あまりの揺れに、地震の詳しい内容を知るために
テレビをつける。
テレビには、地震情報が流れている。
大阪、岡山と地震の震度が表示されている。
神戸の表示がないが、
大阪に神戸は近いのでないものだと勝手に思い、
また、寝てしまう。
余震の揺れで、
再び起きてテレビをつける。
「あ~、阪神高速が倒れている」
と声を上げる。
神戸は学生生活を過ごした思い出の町だ。
六甲山の山から見る夜景は美しく。
日本一、素敵な街だと思っていた。
しばらくして駅に向う。
駅では電車が西明石で止まっているという表示
で動いていない。
その後、数日がたった。
余震の続く神戸近郊の親戚の家の引越しの手伝いに
車で向うことにした。
自衛隊の車が、何台も走っていたのが印象的だった。
その後、
神戸市内には何回も足を運んだ。
繁華街の三宮の駅前にはビルが倒れ、
電車の動いていないなかで、
バスが動き出していた。
バスに乗り込みに並ぶ被災者の方々の待つ姿が印象的だった。
バスの中での東灘区の風景は悲惨だった。
東灘区では沢山の家が倒れていた。
倒壊している。中にはまだ人がいるかも知れない。
悲惨な状況に心が痛い。
その家を見ているバスに乗る被災者の人の気持ちを考えると
もっと心が痛かった。
自然と涙が頬をつたっているのに気づいた。
建物の中には人がいる。
建物は人の命を預っている。
神戸はあの日から11年たつ。
あの美しい神戸に蘇ったのだろうか。
私たちはあの日を忘れてはいけない。
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年テーマ:ブログ
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_01.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_02.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_05.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_09.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_15.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_09_02.html
http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html
阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。テーマ:ブログ
阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。
神戸のあの震災から12年がたとうとしている。
神戸は大学で通っていた。
大学の寮をかりたこともある。
大学の同級生の友人も下宿していた。
数年違えば、あの日、阪急六甲の駅の近くにいたかもしれない。
私はあの日、兵庫県の南部にいた。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
多くの人が亡くなり、
多くの人が家をなくし、家族を亡くした。
生き地獄だった。
数日後、
東京に行った。
神戸と違い、東京はいつものままだった。
変わっていないように感じた。
新宿の
コンビニに阪神淡路大震災の募金箱があった。
呼び水になればという思いで、
財布の中の
小銭をすべて投げ入れた。
東京の新宿駅前で大声で叫びたかった。
「今、神戸は大変なことになっている。」
「みんなで助けてあげてください。」
「お願いです。」
と
でも、勇気がなかった。
あれから12年、
私の記憶も薄れてきた。
でも忘れてはいけない。
みんなに伝えないといけない。
「1・17を忘れない」朝日新聞滋賀地域版、朝、購読している新聞を見る。
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000701130001
PS
1月17日あれから12年。1年前の記事を読み返す。
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http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
よみがえれ神戸。
木村勝則http://www.katsunori.jp/
阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
「ガタガタ」「ガタガタ」
けたたましい音で目が覚める。
ベットから飛び起きて、リモコンで
テレビをつけた。
1995年1月17日早朝
祝日の連休を利用して偶然、兵庫県南部にいた。
あまりの揺れに、地震の詳しい内容を知るために
テレビをつける。
テレビには、地震情報が流れている。
大阪、岡山と地震の震度が表示されている。
神戸の表示がないが、
大阪に神戸は近いのでないものだと勝手に思い、
また、寝てしまう。
余震の揺れで、
再び起きてテレビをつける。
「あ~、阪神高速が倒れている」
と声を上げる。
神戸は学生生活を過ごした思い出の町だ。
六甲山の山から見る夜景は美しく。
日本一、素敵な街だと思っていた。
しばらくして駅に向う。
駅では電車が西明石で止まっているという表示
で動いていない。
その後、数日がたった。
余震の続く神戸近郊の親戚の家の引越しの手伝いに
車で向うことにした。
自衛隊の車が、何台も走っていたのが印象的だった。
その後、
神戸市内には何回も足を運んだ。
繁華街の三宮の駅前にはビルが倒れ、
電車の動いていないなかで、
バスが動き出していた。
バスに乗り込みに並ぶ被災者の方々の待つ姿が印象的だった。
バスの中での東灘区の風景は悲惨だった。
東灘区では沢山の家が倒れていた。
倒壊している。中にはまだ人がいるかも知れない。
悲惨な状況に心が痛い。
その家を見ているバスに乗る被災者の人の気持ちを考えると
もっと心が痛かった。
自然と涙が頬をつたっているのに気づいた。
建物の中には人がいる。
建物は人の命を預っている。
神戸はあの日から11年たつ。
あの美しい神戸に蘇ったのだろうか。
私たちはあの日を忘れてはいけない。
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年テーマ:ブログ
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_01.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_02.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_05.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_09.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_15.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_09_02.html
http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html
阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。テーマ:ブログ
阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。
神戸のあの震災から12年がたとうとしている。
神戸は大学で通っていた。
大学の寮をかりたこともある。
大学の同級生の友人も下宿していた。
数年違えば、あの日、阪急六甲の駅の近くにいたかもしれない。
私はあの日、兵庫県の南部にいた。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
多くの人が亡くなり、
多くの人が家をなくし、家族を亡くした。
生き地獄だった。
数日後、
東京に行った。
神戸と違い、東京はいつものままだった。
変わっていないように感じた。
新宿の
コンビニに阪神淡路大震災の募金箱があった。
呼び水になればという思いで、
財布の中の
小銭をすべて投げ入れた。
東京の新宿駅前で大声で叫びたかった。
「今、神戸は大変なことになっている。」
「みんなで助けてあげてください。」
「お願いです。」
と
でも、勇気がなかった。
あれから12年、
私の記憶も薄れてきた。
でも忘れてはいけない。
みんなに伝えないといけない。
「1・17を忘れない」朝日新聞滋賀地域版、朝、購読している新聞を見る。
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000701130001
PS
1月17日あれから12年。1年前の記事を読み返す。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
よみがえれ神戸。
木村勝則http://www.katsunori.jp/
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あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年テーマ:ブログ あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_01.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_02.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_05.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_09.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_15.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_09_02.html
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阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。
神戸のあの震災から12年がたとうとしている。
神戸は大学で通っていた。
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数年違えば、あの日、阪急六甲の駅の近くにいたかもしれない。
私はあの日、兵庫県の南部にいた。
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多くの人が亡くなり、
多くの人が家をなくし、家族を亡くした。
生き地獄だった。
数日後、
東京に行った。
神戸と違い、東京はいつものままだった。
変わっていないように感じた。
新宿の
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呼び水になればという思いで、
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http://dogalog.excite.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48018099/48018099peevee8245.flv
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木村勝則http://www.katsunori.jp/
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